はじめに言葉ありき
久しぶりに学校で使っていた「臨床医学各論」の教科書を開きました。
実際に臨床経験を積んできたうえで教科書を再度見直すと、
「これはそういうことだったのか」
「こっちの可能性もあるから見落とせないな」
など、改めて気づくことが多々ありました。
そしてそのなかで、読み飛ばしてたけど超大事!!と思えた一文がありました。
それがスクリーンショットのものなんですが、
「はじめに言葉ありき、言葉は神とともにありき。できることなら言葉の力で病気を治すのが一番~...」
という、有名な一節が含まれた一文。
これは整形外科の領域に関係なく重要なことだと思えました。
しかも、実際に当院にご来院されたケースでも、言葉によって大きく症状改善につながったと思えることもありました。
詳細は割愛しますが、10歳の男の子で、半年前にスポーツ外傷を負ったケース。
現在は腫脹や熱感などもないのに、まだ痛みが出るとのこと。
他整骨院で処置を受けても改善されず、その際にも「治っているはずなので痛いというのは考えにくい。メンタル的な可能性もあるのではないか?」と見解を受けていたそうです。
こちらで診せて頂いても、確かに外傷部分は治ってる様子で、気滞と軟部組織のかたさに問題があると判断できる状態であったため、ひたすら刺さらない鍼で除去しつつ、柔軟性を戻しました。
もう大丈夫だろうと思って痛い動作を行ってもらうと、荷重せずに動かす分には痛くないが、ジャンプして着地の際が痛むとの事。
よくよく見なおしてみると、からだの奥に「恐れ」の感情から発生した気滞がまだまだあることに気が付きました。
ジャンプして着地するまでに、頭部にも「痛い、こわい」という意識から発生した気滞と、体全体に不自然な筋緊張が走っているのを感じたので、
「もう治ってるから大丈夫。痛い、こわいという気持ちも一緒に抜いてあげるね」といったような声をかけながら、からだの奥のモヤモヤした気滞を抜いてあげると、、、
次の着地動作では痛みが減っていたため、また声をかけながら、新たに体内に発生したものを抜いて、もう一度飛んでもらう。
するとまた痛みが減っていたため、この過程を何度かくりかえりました。
最終的に、ジャンプして着地しても痛くないところまでたどり着くことができ、荷重なしで関節を動かしても痛みはない状態になりました。
この一連の事から、感情や意識、記憶がからだに影響を与えていたということ、言葉をかけることの重要性を再認識しました。
特に子供の場合は素直で純粋なので、言葉の力の速さ、重さは、大人とは比較にならないかもしれません。
(今ニュースなどで話題の虐待についても、後々まで大きな影響を与えることは私たち大人の想像以上かもしれませんね。)
精神を患っている大人の場合、なんとか状況を変えられないかと声をかけてみても、ご本人の経験や思考などが強固でさえぎられ、言葉を響かせられないことが多々あります。
ただ聴く、ということをしてみても、カウンセリングのスキルがないので、どう返していくか、または返さないのか、、
この辺は専門家に及びませんし、とても苦労します。
感情面や思考が変われば、実際に施術を加えることよりも効果的なこともありますし、施術で感情や思考をクリアにしなければ進まないこともありますし、話しかけないほうが良いなと感じることもありますし、バランスがとても難しいのですが、、、
こういった患者様がご来院されることが増えてきたということは、自分の事も見直す機会がきているということなのかもしれませんね。
言葉のこと、話すこと、聴くこと、、、コミュニケーションスキルって、自分にとっては鍼灸やマッサージの技術以上に難しいと、自分自身にハードルを作ってしまいがちですが、苦手意識をもたないように地道に学んでいきたいと思います。
今回のお話は、同業者の面からみても、そうでない方からみても、様々な意見がでそうな難しい内容だったかもしれませんが、
ここから辿っていくと、現代社会の病も見えてきそうと思った次第です。
また最後に難しいテーマが出てきてしまいましたが(笑)、この辺りはまたいずれ、何かの機会に考えて書くかもしれません。
様々な解釈があるようですが、「はじめに言葉ありき ...」
忘れないようにします。
それでは今回はここまでで。
皆様、いつもありがとうございます。
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