想いの重さ?責任の比率?ともいうべき?
もしかしたら以前にも同じような事に気が付いたかもだけど、
すごく自分にとって大切なことに気が付いたので書き残します。
まずきっかけは、月に1~2回行っているギフトdayで当日キャンセルが立て続けにあったこと。
(怒ってませんし、根に持ってません。単純にきっかけとして挙げています。)
普段の通常営業であれば当日立て続けにキャンセルがあると(そう簡単にありませんが)、色々考えたり、ショック、または焦りなどの感情も状況に応じて出てしまうのですが、ギフトdayではそういったことが起きませんでした。
これはなんでだろうと考えてみると、「想い」の違いだったことにあると自分なりに結論に至りました。
ギフトdayを軽く見ていたり、ないがしろにしているわけでは全くないのですが、こちらは一言でいうと
「受け取ってくれる方に受け取り方も含めてご自由にお任せする」というスタンス。
通常営業は、「少しでも状態、状況を改善させたい!病気じゃなくても健康維持して頂きたい!」という、私がなんとかしなければ!という感じなんですよね。
施術には私自身のエネルギーを載せないように心掛けているのですが、そういった仕事自体、営業に関する意識の重さにまでは気が付いていませんでした。
それを重く意識しすぎるといつかパンクするなって、気が付いたんです。
私みたいな職業の人は誰もが「治したい。治してあげたい。治さなければいけない。」などを普通に意識していて、
それができないと意味がないとか、治療家じゃないとか、ダメでしょう!って考えていると思うんですよね。
でも、元々こちらがそう思っていて、そういう過ごし方、生き方、対応の仕方でいても、受け取る側にも準備や意識がありますし、治癒力なんてのも発揮するお手伝いはできても「その人自身のもの」なんです。
私はそれを思い通りにすることなんてできませんし、それはエゴだって考えています。
ありのままのその人を大切にする。そのうえで最善と思われる提示や接し方をしていくのが私のやり方でした。
もちろん、施術自体も最善を尽くして、少しでも良くなるように、改善するように努めています。
ただ、施術も受け取る人にお任せするということや、責任を分担するという意識が薄かったんだと気が付きました。
言葉で例えるならば、
「治療院として営業しているのであれば私に治す責任と義務がある」、そういう感じの強さではなく、
「最善は尽くしますが、良くなるための道のり探しと努力は一緒にしていきましょうね」なのかなと。
なぜなら、極端な例でいうと、暴飲暴食をして起きた病気をすぐに治してくれ。治らなければあなたに責任があります。みたいなことがあっても、
当然、そこまで私たちが責任を負うことはないんです。
当院に来てくださる方には、そういう一方的な責任の押し付けや依存をしてくる方はおりませんが、私自身が勝手に責任の比率を大きくしてしまっていたんですね。
「お互いできることを少しずつでもして進んでいきましょう。私も最善を尽くしますので。」を相手にも伝わりやすく説明して、その時に最善な施術をするのは私の力量になりますが、「私が全部引き受けて頑張ります!」はちょっと違うなと。
そういう意識、今まで重くなりすぎないように努力してきたつもりだったのですが、まだあったみたいです。
そして、そこに気が付くと、通常営業や施術でのアプローチも軽やかさが出てきました。
受けている方に起きている事象をただみる。それはその方のからだと(無)意識が起こしているので変に邪魔しない。
愛と癒しの為のエネルギーは注ぐけど、どう受け取ってくれるかはお任せする。迷子になっていたら誘導する。みたいな心持で。
これは普段行っているカウンセリングも共通して大切なところ。選択肢も行動もあなたのもの。私は中立なので、どのような選択、決断をしても私とあなたの意思は自由。私の感情も自由、だから振り回されない。多くを受け取りすぎて重くならない。
これから占いっぽい要素も含めたカウンセリングというか人生相談というかも始めるので、きっと、もっと想いを良い意味で軽くしていいんだよってメッセージがこのキャンセルにあったのかなぁと、ポジティブにとらえております。
そんなことで、改めてハッとして、この無責任や責任放棄とも違う軽くなった感じを備忘録(になるかな?)も兼ねて、書いてみました。
私と同じような職業じゃなくても、同業者でも、ハッとすることありませんか?
それもあるかもって思って、シェアできるように残してみました。
文字に起こしてみるとうまく書けなかったのですが、この感じも、受け取るも受け取らないも自由ですね。(^^♪
ではでは。いつもありがとうございます。
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